名古屋高等裁判所金沢支部 平成2年(ラ)8号 決定 1990年5月16日
抗告人 沖田彦三郎
相手方 沖田実
主文
本件抗告を棄却する。
理由
一 抗告の申立及び理由
抗告人は、原審判を取り消し、本件を福井家庭裁判所武生支部に差し戻すとの裁判を求め、その理由として、別紙のとおり主張した。
二 当裁判所の判断
1 一件記録によると、次の事実が認められる。
(一) 相手方(大正11年9月15日生)は、抗告人と亡沖田節子(明治36年2月12日生、以下「節子」という)との間に長男として出生し、現に遺留分を有する推定相続人である。
(二) 抗告人(明治35年1月18日生)は、地元の農学校を卒業後は本籍地で専業農家として現在に至ったものであり、節子との間には、相手方のほか、長女福島邦江がいる。
(三) 相手方は、昭和30年12月8日に桜田豊子(昭和2年9月23日生、以下「豊子」という)と婚姻したが、昭和35年頃から勤務の関係で同人とともに一時福井県勝山市内へ転居したほかは、婚姻後も抗告人及び節子と同居し、柔順で両親を立て、豊子も夫に従って同居生活に耐えていた。
ところが、節子が病床につくようになった昭和54、5年頃から、豊子の態度が変わり、節子の看護や家事のあり方をめぐって自己主張を始めたことから、抗告人はこれを反抗と把え豊子と反目するようになり、昭和57年頃からは、同人の作った料理を食べるのを拒否して自炊するようになり、さらに、昭和58年正月に抗告人が豊子に節子の看病一切を受け持つよう言いつけたところ、豊子が、頼むならするが命令なら嫌ととれる口答えをしたことから抗告人は激怒し、それ以来抗告人と豊子の対立は決定的となり、以来抗告人は豊子と口もきかず、洗濯物を自分で洗うようになった。
(四) 節子は、昭和58年4月15日に死亡したが、抗告人は、このことに関し、豊子が節子の看病をしなかったばかりか、言語による暴力によって虐待したため、同人の死期を早めたと信じ込み、豊子及び相手方を再三にわたり非難し、反省を求め、少しでも弁解すると興奮して茶わんや一升瓶等を投げつけたり、家財道具を壊したり、時に刄物を持ち出したりし、また押入れの中の衣類等を相手方の部屋にまき散らすなどのいやがらせをし、また、家中の至る所に「不孝者」等相手方を非難する内容の落書をしたりし、それが昂じた場合は、これを制止しようとする相手方とつかみ合いの喧嘩となり、孫が泣き騒いで収まるという有様で、抗告人と相手方との関係も次第に険悪になって、家庭不和は一層進んでいった。
こうするうち、抗告人は、昭和59年3月29日に相手方を廃除することや豊子との別居等を求める旨の調停を福井家庭裁判所武生支部に申し立て(同庁昭和59年(家イ)第22号親族関係調整調停事件)たが、同年11月2日に調停不成立となったため、抗告人は、同年12月3日に本件審判を申し立てた。
(五) 抗告人は、右調停申立後も節子を看病しなかったことを人道上許し難い行為であるとし、謝罪せよと迫り、無視されるや相手方や豊子を繰り返し非難・侮辱し、反論に興奮して、従前同様物を投げつけたり、落書をしたりしたため、時にはこれに憤激した相手方が、抗告人の右行為を制止しようとしてもみ合ったり、扇風機を投げつけたり、同居していた孫が抗告人にすいかを投げ返したりしたことがあった。また、相手方及び豊子が、昭和59年8月頃興奮した抗告人の行動を制止した際、抗告人が加療約5日間を要する右手首裂傷を負ったこともあった。このように、抗告人と相手方や豊子との間の紛争は、右調停の間もますます深刻化し、豊子が抗告人から髪をつかんで引っ張られるなどの暴力を振われることもあったので、豊子は、昭和59年8月頃に抗告人との紛争を避けるために五女とともに福井市内に転居し、その後は、残った相手方及び四女晶子が抗告人と同居を続けることになった。そのため豊子を対象とする非難行動はなくなったが、右同居家族への同種行動は続いていた。
(六) その後、右晶子は、昭和62年3月に婚姻して独立し、相手方も抗告人方を出て豊子らとともに肩書地で寝泊りし、勤務先の○○町教育委員会への行き帰りに抗告人を訪れ、また田畑の世話をする程度になったので、抗告人は、現在独り暮しとなり、相手方や豊子を非難する落書をしたり、孫の婚家先へ手紙を出したりするようなことはあるものの、かなり落ち着いており、謝罪があれば相手方らを許す心境に至っている。
2 抗告人は、相手方と豊子から共同で虐待された、少くとも相手方や豊子の言動は、抗告人を精神的に苦しめるもので、実質的な虐待であること及び相手方は、平成2年3月頃抗告人が肩書地の金庫に保管していた50万円を窃取したことを理由に、相手方には廃除の事由がある旨主張する。
しかしながら、推定相続人の廃除は、相続的協同関係が破壊され、又は破壊される可能性がある場合に、そのことを理由に遺留分権を有する推定相続人の相続権を奪う制度であるから、民法892条所定の廃除事由は、被相続人の主観的判断では足りず、客観的かつ社会通念に照らし、推定相続人の遺留分を否定することが正当であると判断される程度に重大なものでなければならないと解すべきである。そこで、これを本件についてみるのに、前記認定事実のもとでは、なるほど抗告人と相手方とは、抗告人と豊子との不和を契機に豊子が節子の看病の手伝いをせず抗告人のみに任せたことから、次第に日常生活における円満を欠くようになって家族内で抗告人を孤立化させて寂しい思いをさせ、また、相手方らにおいて抗告人に反抗し、物を投げつけたり、制止のためとはいえ、老人に対し暴力を行使し、傷害を与えたことは些細なことと無視できるものではない。しかしながら、そのような暴行・傷害・精神的虐待の直接の原因は、抗告人の繰り返しの非難・謝罪要求にあることは前認定のとおりである。即ち抗告人は、妻節子が死亡したのは豊子が看病してくれなかったためであると言い続けている。確かに、暖い家族のもとでの看護は病状を好転させることもあると考えられ、妻に先き立たれた抗告人の無念・悲しみは察して余りあるが、運命ということもあるのであって、医学的に明白であればともかく、節子の死を豊子の不協力が原因ときめつけるのは根拠不十分である。したがって、その意味での謝罪要求に豊子や相手方が応じなかったことを非難できない。もっとも、寝たきりの妻を一人で看病していた抗告人が途中で豊子に協力を依頼すれば、これに応ずるのが同居親族の義務であるといえる。したがって、豊子が抗告人の求めを全面的に拒否したのは相当でないし、相手方がその間の調整役割を果さなかったことも結果的によくなかった。しかし、抗告人は、頼み方に問題があったとも思われるうえ、豊子らに非があったにせよ、その後長期にわたり、子や夫のいる前で繰り返し言及し、直接的かつ強硬に非難を加え、反省・謝罪を要求し、これに応じないと興奮しては攻撃を加えるという方式は、よりよき家族関係を希ったうえでのことであろうが、行き過ぎで効果はない。
抗告人は、家族から無視され精神的虐待を受けたと主張するが、抗告人が孤立したことは、家庭内不和の結果であって、前記抗争とは別の行為とは認め難いからこれをもって別個の廃除事由とみることはできない。
以上のとおり、抗告人が受けた暴行・傷害・苦痛は、相手方・豊子だけに非があるとはいえず、抗告人にもかなりの責任があるから、その内容・程度と前後の事情を総合すれば、いまだ相手方の相続権を奪うことを正当視する程度に重大なものと評価するに至らず、結局廃除事由に該当するものとは認められない。さらに、一件記録を精査しても、相手方が抗告人所有の50万円を窃取した事実を認めることはできない。したがって、抗告人の主張する廃除事由は、いずれも認められない。
3 よって、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 井上孝一 裁判官 井垣敏生 田中敦)
(別紙)
抗告の理由
一 原審の判断につき
1 相手方と豊子の虐待振りについて、原審は抗告人の誤解か評価の違いであるとして全く認めていませんが、その虐待振りは抗告人の妄想でもなく、その詳細は申立書の記載したとおりですし、現実に怪我をさせられているのです。これが何故虐待でないのか、抗告人には理解できません。今一度その詳細を調査して下さい。
2 相手方の妻豊子が全面的に抗告人に「服従しない」という原審の認定こそ、抗告人の主張を誤解しているか曲解しているように思われます。抗告人は一度として、相手方や豊子に「全面的服従」を要求したことはありません。そんな要求を認める相手方や豊子ではありませんし、抗告人としても、単に願わくば相手方に通常の家族として交流して欲しいと望んだだけです。しかし、相手方や豊子は、申立人と同居しながら、申立人との交流を一切拒否してきたのです。その姿勢は徹底しており、まさに抗告人を親(義父)とも思わぬ態度で、生きた心地さえしない毎日でした。
3 従って、申立人の希望は「通常の家族としての交流」を期待するというに止まり、相手方や豊子に対して「理不尽な服従」を求めたこともありませんし、「戦前の家父長制度」の如き介入をしたこともありません。老齢の親(義父)と共に食事をし、時には親子の会話をして欲しい、病気の老妻の看護も少しはして欲しい等という、ささやかな僅かな望みを、相手方と豊子は完全に無視してなさないだけでなく、逆に赤の他人に接すると同じような冷酷な目で抗告人を睨みつけ、ときとして抗告人に対して物を投げ付けて怪我をさせることも度々でしたし、抗告人が家庭平和を祈願して祭った観音像を隠す等、逆に抗告人を精神的に追い詰めることばかり考え、実行してきたのです。
4 このような、今年88歳を迎える抗告人に対して、長年加えてきた完全無視という態度は、ときに加える暴行や死ねという暴言と併せて、まさに憎悪剥き出しでしたから、充分抗告人を精神的に参らせました。毎日生きた心地もなく、どうしたらよいか分からないまま、先祖からの不動産だけは守らなければ、という一念で、只管相手方と豊子の冷遇に耐え、家を出ることを思い止まってきたのです。もう精神的にはずたずたです。しかし、原審は、抗告人が現実に入院する程の暴行を加えられた場合しか、虐待したことにならないと言われるのでしょうか。一回きりの怪我をさせられるよりも、人間としての存在を無視され、四六時中剥き出しの憎悪をぶつけられる方が、標的とされた本人にとっては、質の悪い生殺しとなり、暴行以上に心が傷つきます。それを考えて相手方らは行動しているのです。このような無形の酷い虐待を受けていることを是非とも理解して頂きたいと思います。
5 又、抗告人が本年3月上旬に家の金庫に入れておいた約50万円の現金が3月13日に盗まれているのが判明しました。盗んだのは相手方しか考えられません。
相手方と豊子は、家を出て別居中だといっても、家の鍵が不備ですから、自由に家に出入りしており、何をされるのか抗告人は今も気が静まることがないのです。
6 抗告人の申立の趣旨は、第一に豊子と共に抗告人に虐待を加えてきた相手方を相続人から外し、私の遺産を与えないようにしたい、ということです。万一にも抗告人に対して、遺産欲しさのためにこれまでの虐待を謝罪してくることでもあれば、その真意を確かめた上で、考え直さないでもない、という気持ちは尚親としてありますが、ここに至っては、相手方や豊子に何が何でも謝罪させたり、服従させたいとは考えてもおりませんし、それ自体を申立の目的にしているのでも、決してありません。この点の御理解をお願いします。
7 相手方と豊子が今では別居するに至っているとしても、これまでの虐待を心から悔いて謝罪してきたのでもなければ、抗告人としても許した訳ではありませんから、尚、申立の目的を果たしてはいません。いま一度抗告人から直接事情を聴取され、相手方と豊子の虐待ぶりを審理し直してください。
二 これまでの相手方と豊子の虐待振りとこれに耐えてきた抗告人と亡き妻の思いを、抗告人が短歌風に綴ってきましたので、是非とも参考として御一読下さい。
以上